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ござれ桜と吉田繁次郎 photo (c)masaki sugihara

ござれ桜と吉田繁次郎

 4月、春爛漫の季節になると彦根城域で約1200本の桜が咲き誇る。そのほとんどがソメイヨシノである。ところが今、日本中のソメイヨシノは危機に瀕しているという。
 江戸時代にオオシマザクラとエドヒガンを交雑して作り出されたソメイヨシノは、成長が速い反面、種子を残すことはほとんどない。現在のソメイヨシノは、最初の1本から接木されたものが日本中に拡がったもので、いわばクローン。加えて、60〜70年と寿命も短い。現在の桜の名所は、紀元二千六百年記念や戦後復興の町づくりとして植えられたものがほとんどで、平均寿命を経過しようとしているという。
 紀元二千六百年記念は、日本書紀の紀年に基づき、初代天皇として神武天皇が即位した年、紀元前660年を皇紀元年と定め、皇紀2600年に当たる昭和15年(1940)に、国威高揚のため各地で式典を行い、国を挙げて祝ったという。
 よく知られた話だが、「ゼロ戦」という通称で知られる大日本帝国海軍の「零式艦上戦闘機」は、この皇紀2600年に採用されたことに因んだ名称である。皇紀2601年に採用された戦闘機は一式戦闘機(通称隼)だ。ちなみに今年は、西暦に660をプラスして、皇紀2672年ということになる。

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■昭和3年「近江鉄道沿線の栞」部分(個人蔵)

 地図は、昭和3年(1928)湖東平野を走る近江鉄道の全線電化を記念してつくられた沿線案内「近江鉄道沿線の栞」の一部分だ。まだ、彦根・米原間は未開通で、鳥居本駅は存在しない。多賀・高宮間には土田という駅があり、松原辺りに内湖が描かれている。沿線案内の役目は、旅する人に、その土地で、観ておくと良いもの、味わっておく、或いは、お土産にすると良いものを紹介することにある。近江高天原と堂々とあり、霊仙でスキーができたり、宇曽川堤の桜が名所として記されている。彦根城には何も記されていない……。確かに、名所ではなかったようだ。
 彦根城の桜は、紀元二千六百年記念に植えられたものよりも更に古い。吉田繁次郎が昭和9年(1934)に植えたものだ。
 彦根がまだ彦根町だった頃の話で、吉田繁治郎は町会議員だった。『彦根の先覚』(彦根市立教育研究所)には、次のように書かれている
 『「古い城下町の味をたいせつにし、大きく伸びる町にするには、観光の町として発展させていくのが、いちばんよいのではないだろうか。そうだ、皇太子の誕生の機会に、彦根城一帯に桜の木を植えて、桜の彦根城にしよう。」と、昭和八年(一九三三)四十六歳の吉田繁次郎は彦根の将来について、こんな夢をえがきました。繁次郎はさっそく町の家を一軒一軒歩きまわって、桜の苗木千本を買うための寄付金を集めました。それも、仕事を店の者や妻にまかせて、夜遅くまで足を棒にして歩きました。』
 寄付金集めは思うようには進まなかったようだが、2か月かかって当時の金額で1200円を集め、昭和9年2月、ソメイヨシノの苗木、1000本を買い入れ、桜を植え始める……。
 『桜の苗木は、植えればそのまますくすくと育ってくれるものではありません。次の日から、繁次郎は、桜とともに生きる人生が始まったのです。

繁次郎38.jpg若き日の𠮷田繁次郎(写真提供:吉田滋 )
 千本もある桜の苗木一本一本を見て回り、倒れかけている木を見つけると直したり、葉についた害虫まで取り除いて歩くのですから、じつにたいへんな仕事でした。』
 天守近く、内濠の土手、金亀公園、外濠の道ばた、旧港湾沿いや芹川の土手にも苗木を植えたという。
 彦根町は昭和12年(1937)2月11日に彦根市ととなり、「桜の彦根城」を観光の名所として全国に宣伝するようになる。昭和28年(1953)、永年の努力が認められ彦根観光協会から繁次郎は表彰を受ける。桜を植えることを思い立ってからちょうど20年目のことである。
 そして、繁次郎が営んでいた食堂の名前から、彦根の人々は彦根城の桜のことを「ござれ桜」と呼ぶようになったということだ。
 商工会議所近くの「ござれ食堂」は繁次郎から数えて四代目が、彦根市民会館前の「珈琲所ござれ」は三代目のご夫婦が営まれている。
 第二次世界大戦中、金亀公園に植えた桜は切り倒され、一帯はさつまいも畑になり、昭和34年(1959)の伊勢湾台風などで繁次郎の育てた桜の木は半分の500本余りに減ってしまったが、今もござれ桜は確りと咲き誇っている。
 ところで、国宝や重要文化財の指定を受けた彦根城内では、土を掘り返して新芽を植え替えることは難しい。市民団体「ひこね桜守」(代表山内勉さん)は、10年以上前から、花が咲く前と咲いた後に肥料をやることと、テングス病などの病気を早期に発見して、樹医と一緒に治療してきた。現在も、彦根市文化財課・レイカディア大学の方々と共に「ひこね桜守」の運動を続けている。
 先輩市民から受け継いだ風景を守ること、そして、たった一人から始まったござれ桜に学ぶことは多い。


参考
『彦根の先覚』彦根市立教育研究所(1987年)
『わがまち彦根 ふるさと再発見』彦根市立教育研究所(1980年)